日本赤十字社様特別インタビュー




東日本大震災から5年。2011年3月を振り返る「無関心を超えた先にある繋がりのある社会へ」

東日本大震災から丸5年。わずかながら、ITの力で震災の支援を行った当時の様子を振り返り、より良い将来を考えるきっかけにしたい、その思いで日本赤十字社様と当社代表 大石の対談を公開いたします。

日本赤十字社 東日本大震災復興支援推進本部長 西島 秀一様 / 株式会社サーバーワークス 代表取締役 大石 良

サーバーワークスは、5 年前に発災した東日本大震災の記憶を遡り、犠牲になられた全ての方に追悼の意を表すると共に、将来に向けた取り組みへの意志を残します。ITで世の中を少しだけ救えることもある。日本赤十字社様に教えていただいたこの経験を残し、復興に向けて歩み続けることが私たちの責務と信じて、このインタビューをお届けします。

株式会社サーバーワークス
代表取締役 大石 良

登場人物(敬称略)

(西島):日本赤十字社 東日本大震災復興支援推進本部長 西島 秀一 様
(大石):株式会社サーバーワークス 代表取締役 大石 良

Q. まず、3/11に何があったかをお聞かせください
(西島)震災が起きた3月11日直後はホームページへのアクセスは多くありませんでしたが、翌日3月12日土曜日から徐々にアクセスが増加し、14日の月曜日には通常の40倍のアクセスがある状態でした。この14日からは一日中、本社職員はかかりきりで電話対応しており、ホームページにアクセスできない、ということも問合せの電話から認識した、という状況でした。
そのときちょうど、ホームページの担当者は発災直後の被災地に赴き、現地で支援活動を行っていたため、対策が取れない状態でした。
Q. 日本赤十字社様のホームページを見たい動機は何だったのでしょうか?
(西島)最も多い動機は義援金の振込先情報の確認です。その他に、ボランティアや物資支援の問合せがあります。物資支援は原則的には受け付けない方針ではありますが、問い合わせそのものは多数寄せられました。おそらく多くの方々も震災当日は落ち着かず、被災地の状況を報道などで把握して、12日の土曜日から日赤ホームページへのアクセスが急増したのでしょう。

(大石)13日日曜の夜に問合せをいただいたと記憶しています 。

(西島)12日(土)の発災とは関係なく、それ以前に寄付金収納事務の効率化についてシンクタンクのご担当者に相談しておりました。直感的に「阪神淡路大震災における義援金収納額の比ではない」という漠然とした予想があり、我々日赤だけの力では解決できない、と思っていました。そのため、土曜日の夜に、ITシステムについても非常に詳しかったこのシンクタンクのご担当者に相談しました。藁にもすがる思いでした。
Q. すぐに解決策としてクラウドの利用を、と至ったのでしょうか?
(西島)その時はこのシンクタンクのご担当者からのアドバイスを受けてすぐにその構想になりました。その後のアクセスが想定できなかったためです。その当時少し流行っていた「想定外」という言葉がある意味役に立ちました。「想定外のとき」には「想定外のアクションをとりたい」と考えていました。何でも良いからアイディアが欲しい、という状況の中、その良し悪しを判断する状況ではありませんでした。
Q. 義援金システムのページができる前はどのような対応をしていたのですか?
(西島)すべて手作業でした。日赤にお寄せいただく義援金はそのほとんどが郵便振替です。郵便振替の払込用紙がどういうものかわかりますか。当時は膨大な量の、それこそ箱単位で郵便振替払込用紙が届き、その用紙に住所、氏名、金額が書かれているものです。この払込用紙の情報はデジタルデータではなく、すべて紙ベースのものでした。全くオンラインの仕組みは持っておらず、システマティックな対応は設計できる段階ですらなかったのです。まったく、無の中から作り上げたのがあの義援金収納の仕組みでした。
Q. ホームページの復旧と同時に義援金のシステムについても相談したのでしょうか?
(西島)いいえ、日赤からのオーダーではありませんでした。シンクタンクのご担当者の発想で「義援金の受付をオンラインで対応する」という提案をいただいたことがきっかけです。
Q. そのときの「クラウド」や「オンライン決済」はどのように受け止められたのでしょうか?
(西島)恥ずかしながら、そのときは「クラウド」の詳しいことも理解しておらず、サーバーの増強レベルだと思っていました。日赤の担当者にも説明をいただいていましたが全員その場で理解していたか、と言われると怪しいものです(笑)当時は「とにかく早く対応したい」という思いだけでした。 特に一般の方は、ニュース報道などで映像が届くと、「何とか手助けをしたい」という思いが強くなります。我々は、その気持ちを早く被災地とつなぐことがミッションでした。被災地に直接赴くだけではなく、後方支援である管理部門として被災者と全国の方々の想いとを繋ぎたいと考えていました。

(大石)担当者レベルで「クラウドはちょっと…」という話が全く無かったわけではありませんでしたが、シンクタンクのご担当者 が「いける、大丈夫」と後押ししてくださいました。

(西島)そうですね、あの当時は特にシンクタンクさんを信頼し、すべてを託したような気持ちでした。日本赤十字社の組織としては対応に限界があり、判断できる状況ではありませんでしたし、システムに精通されているシンクタンクのご担当者からのあと押しもあり、日本赤十字社もこれらの変更に対し、組織としてお願いしました。
「個人情報」「セキュリティ」の壁はとても大きいものだと思います。個人情報の取扱いはどのレベルになったら”良い”のかもわかりません。ただ制約条件を考えるのではなく、目的を意識するというのが非常に大切だと考えています。東日本大震災当時、国内だけでなく、海外各国からもたくさんの支援のお声掛けがありました。とてもではありませんが「クラウド」のキャパシティでないと対応できない規模のものでした。結果としてこの選択は大正解だったのです。
おそらく、当時「セキュリティ」などの制約条件を話していたら進まなかったでしょう。被災地や被災者の方々を救いたいという目的意識を持たないと、前には進めないのです。
また、この時初めて学んだことがありました。組織の限界を超えたときに専門家の知恵を借りる、という学びは大変貴重なものでした。
Q. 当時はどのようなお立場だったのですか?
(西島)当時は義援金等収納担当課長でした。当時の私の上司は「できることならなんでもやる」ということを言ってくれていました。救護団体として「いかに迅速にやるか」ということの大切さは普段から意識していたからこその判断だったと思います。
Q. 改めて役員会を開いたといったことはありましたか?
(西島)ありませんでした。日赤本社全体が救護体制の組織布陣となり、包括的な方針決定の下とにかく迅速に対応するという体制でした。

(大石)当時、みなさん救護服を着用されてましたよね?

(西島)はい、そうでしたね。

(大石)私はあの姿を見て、改めて「非常事態なんだな」と理解しました。寝袋もそこら中にならべてみんなで取り組んでいらっしゃったことを記憶しています。

(西島) 日赤は災害対応が本来の業務であり、非常事態のときに如何に動くか、という意識は強かったですね。
Q. ではシステムについて伺います。システムはいつごろ出来上がったのですか?
(大石)ホームページは14日、月曜日の夜に対応を完了しました。そのまま義援金の受付システムもというお話になり、飛んで帰って、14日夜中11時ぐらいに会社のメンバーを集めました。「開発費用をいただけるかは決まってない、でもやる」と伝え、3交代制で開発、およそ48時間後にお金を集める受付の部分の提供を開始できました。シンクタンクのご担当者が将来的なロードマップをひいてくださって、まず、義援金を集める、というところに注力し、実現しました。
集められないと日本赤十字社様の存在意義が脅かされる自体である、と考えていたためです。 また、メンバー一同、こんなときにITでできることはこれくらいしかない、と腹をくくっていました。
Q. では、48時間で義援金サイトができたのですか?
(大石)はい、そうです。クレジットカード決済に対応したのはその後でした。まずは郵便振替の口座、ウェブ上で登録を行っていただけるものをつくりました。

(西島)当時、郵便振替払込用紙は紙ベースのデータしかありませんでした。それをデジタルデータ化したかったのです。個人の認識番号(受付番号)をつくり、郵便振替払込用紙にその番号を書いていただく、という仕組みにしました。問合せ→受付サイト→自分で確認->郵便振替、という流れを作りました。それまでずっと紙だけで受付ていたため、個人を特定できない、という課題が発生していました。その課題を解決する最初の仕組みをつくりあげたのです。 もちろん、個人情報を担保する仕組みも配慮いただきました。実は当時は個人情報の保護など、我々は意識できていませんでした。もし、自分たちでやっていたらそういうことが抜けたままだったでしょう。大石さん、サーバーワークスさんの仕組みの中でやってもらったため非常に助かりました。
Q. 構築したのはAWSの東京リージョンですよね?
(大石) 実はシンガポールリージョンを使ったのです。東京リージョンはリリース直後で使える状況ではあったのですが、東京が電力供給に苦しんでいるときに東京リージョンを使って電力を消費するのは本当に良いのか?という意見があがり、東京から一番近いシンガポールリージョンを利用しました。もし何か怒られることがあれば、その時に東京リージョンにしよう、という気持ちでした。クラウド、AWSの強みである、構築した後でもリージョンを変えられるという機能があったからこそできた判断でした。

(西島)その判断、リスクは正直我々にはわかりませんでしたが、専門家の方にお任せし、別の専門家の方に評価していただく。システムの部分についてはこのような仕組みを導入することで、我々は他の支援業務に注力できました。本当にありがたく感じています。
Q. ミラー構成にしたのですか?
(大石)はい、Amazon CloudFrontを使い、アクセスが落ち着いたタイミングで元の構成に戻しました。戻したのは、東日本大震災発生の2年後ぐらいです。元々のシステム契約があったことから、元に戻すという判断に至りました。

(西島)現在、クラウドは使っていません。それは現在、システムが安定しているからです。次に震災などが発生したときにはどうなるかはわかりませんが、このような経験は、次への教訓となっています。そういう事態になったときには行動に移せば良い、という経験ができました。
現状は、通常の寄付も全てウェブサイトからアクセスできるよう対応を行っています。元々構想はあったものの、ある種この震災を期に更に構想よりも早いスケジュールで対応することができています。
Q. 今までお話でもありましたが、改めてクラウドを一部使った効果は何でしたか?
(西島)セキュリティ、個人情報、外部からの情報防衛でしょうか。自社でやることになるとリスクを自社で持つ必要があります。これは人材面も体制面もどちらもリスクを抱え込まなければならなくなります。AWSのような専門性のあるところにお願いすることは圧倒的なリスクの軽減になります。全部自社でやっていくことはリスクが増加するという学びを得られたこと、これはクラウドを進める上でのモデルになるだろうと感じています。
また、外部の方と仕事をすることでより良いものができるということは今回学びましたね。

(大石)クラウドはアウトソースの変形でしょうか。

(西島) そうですね。「餅は餅屋」というように専門家にお願いしていく、お願いした以上は評価、意見を率直に申し上げることで互いに切磋琢磨していく、という流れが理想的だと考えています。
Q. 公的機関の中では非常に先進的だと思うのですが…
(西島)日本は災害大国と言われており、全国いたるところで災害が起こる可能性があります。災害が発生したときには「何を優先するか」を意識しなければなりません。事前に少しでも想定して、例えばクラウドに関してもセキュリティや情報漏洩防止などの対策を普段から講じておくと、そういうときにより使いやすくなるのだろうと思います。
使いもしないうちから「危ない」という固定概念や制約条件を話してしまうと先に進みません。我々は「何をしたいからどうやるのか」を考えたいと思います。
例えば、今回のようにシステムへのアクセス数が増えた時、何をしたいのかを考えてみます。「迅速に対応したい」という目的を考えるのです。できない理由を言って前に進まないのではなく、できたときのイメージを持って、前に進むというのが良いと考えています。

(大石) お話を伺っていて、日赤さんは組織として目的、やらなければならないことがはっきりしていて、こういうときにはこれをやらなければいけない、という1つのことに向かうことを強みとされていることがとてもよくわかります。

(西島)目的思考かつ、未来思考なのです。最悪の事態を想定して、「できない」ではなく「できる」イメージを持ち、そのために今できることを考える、それが未来思考です。これは志ではなく、考え方です。今確かなことを確実にやろうと思うと、確実だとわかっていることしかできません。災害は同じようなものは決して起こりません。応用問題の連続なのです。応用問題を解くためには過去問題を理解することは大切です。知識・技術も磨きます。が、最も重要なことは柔軟な対応をしていくことです。これは 震災で学んだ大きな教訓です。
Q. 最後に何かメッセージがあればお聞かせください。
(西島)想定外の事態には想定外の対応を、既存の対応ではない対応をしなければなりません。想定外の事態はたくさん起こります。過去の対応だけでは対応しきれない、そんなときに対応できるよう、通常時には想像力を高めておく必要があります。
日赤は人道的な組織であり、想像力の欠如、無関心は「人道の敵」であるといわれています。

一般的に、人は無関心のバリアを張って生きているものです。バリアを張ってしまったほうが楽な生き方ができるからです。きっと、すべてを気にし出したら生きてはいけないかもしれません。組織も同じです。

クラウドって仮想ですよね。目には見えないかもしれないけどそういう仕組が存在する、と。それであればその仕組に託します、問題解決の1つの手段として使うのです。無関心のバリアを取り払い、有効なものって何だろうと思ったときに使いたいと感じています。

大変だから進めない、ではなく「できるイメージを持つ」。最悪な事態があってもそのイメージを持つのです。そういう思考を持っておくというのは大事で、確からしいことしかやらないのはつまらないだろうと思います。
今回の震災では、海外の赤十字社からも多額な義援金や日赤への復興支援のための活動資金をいただきました。日赤の会計担当者も大変でしたが、海外赤十字社の会計担当者はも自国の一般市民の方々から寄せられた資金の収納事務などが大変だっただろうと思います。このようなことを思うと面白いだろうなぁと思います。目には見えない繋がり、繋がっている意識、まさに「連帯の精神」が広がっていくと素敵ですよね。